「給料への満足度が上がれば辞めない」は”平均”の話 ― そうでない人もいるというデータサイエンスの重要性

「給料への満足度が上がれば辞めない」は”平均”の話 ― そうでない人もいるというデータサイエンスの重要性

「満足度が上がれば辞めない」は平均の話:1023人のデータが映す 個の違い

給料に満足するほど、辞めたくなる人がいる。
給料への満足度が上がれば、離職は減る。多くの人事施策は、そう考えて設計されています。ですが1023人のデータを一人ずつ見ていくと、この”平均の発想”は覆りました。

筑波大学の佐藤忠彦先生は、論文「経営学のためのデータサイエンスの周辺:計量経営学のすすめ」で、経営学の研究や実務でデータサイエンスを使うための基本を整理しました。統計モデル、機械学習、ベイズモデルという道具立てを見渡す解説ですが、その中で示された一つの解析例が、冒頭の話です。

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私たちがアンケートを分析するとき、通常、全体の傾向を一本にまとめます。従来の統計の枠組みで議論できるのは、対象者全員に共通する「平均的な構造」まで。給料への満足度と転職意向の関係も、「満足が上がれば意向は下がる」といった一つの答えに集約されます。それが当然だと、私たちは思い込んでいます。

論文の解析例は、違うアプローチを見せます。働く人1023人の転職意向のデータを、階層ベイズモデルという方法で分析し、全体の平均ではなく、一人ひとりの反応の違いまで推定したのです。

すると、給料への満足度の”効き方”は三つに割れました。 満足度が高まると転職意向が下がる(会社にとどまる)人が253人。逆に、満足度が高まると転職意向が高まる(辞めたくなる)人が120人。そして、影響が見られない人が650人存在したのです。給料アップによる引き止め効果が期待できる「満足すればとどまる」人が多数派を占める一方で、「満足するほどに辞めたくなる(=自信を得て自らの市場価値を試したくなる)」という意外な反応を示す人も120人存在したことになります。

属性で見ると、金融・保険業や課長・係長クラスには、給料への満足が高まるとさらに多くを得ようとして転職意向が高まる人(=120人のグループ)が多く、営業職や部長以上では逆に下がる人(=253人のグループ)が多い、といった解釈につながると論文は述べています。

これを可能にしているのがベイズモデルです。少ないデータでも、似た人の情報を借りながら一人ひとりの違い(異質性)を推定できる。データサイエンスというとビッグデータの独壇場に聞こえますが、論文は、経営学を含む社会科学ではむしろ、手元の小規模なデータ(スモールデータ)を今日的な手法で深く解析することが重要課題だと指摘しています。統計モデルと機械学習の違いも、技術の新旧ではなく目的の違い、すなわち「仕組みを理解したいのか、それとも予測を当てたいのか」という点にあり、知りたいことに応じて選けばよいのです。

なお、この論文は新しい事実を実証するための研究ではなく、最新手法を紹介する解説記事(招待論文)です。紹介された解析例も、分析手法のイメージを掴むための簡易的な例(粗い解析)にすぎません。そのため、具体的な数字をそのまま施策の根拠にするのではなく、あくまで「平均値だけでは見落としてしまう個人の違いがある」という教訓の例えとして受け取るのが正確です。

「平均」から「個」へ!解像度を上げるデータ活用術

実務に持ち帰るべきは、「平均で設計した施策は、逆向きの人には逆効果になりうる」という視点です。エンゲージメント調査の平均点が上がって安心していても、その内側では「満足が高まるほど、自分の市場価値を確かめたくなる」人が増えているかもしれません。処遇の改善が引き止めに効く人と、むしろ転職への自信になる人が、同じ職場に同居している。平均値だけを見ていると、この分岐は見えません。優秀な人ほど後者かもしれない、と考えると放置できない話です。

始めるのに、大がかりなデータ基盤は要りません。次の社内サーベイで、平均点だけでなく分布と属性別のばらつきを出してもらう。点数の山が二つに割れていれば、平均は「誰の姿でもない数字」です。1on1では、満足度の点数ではなく「何が満たされると、次に行きたくなりそうか」を個別に聞いてみる。手元のスモールデータと問いの立て方だけで、個の違いを読む一歩は踏み出せます。

分析を専門部署や外部に頼むときにも、この論文の道具選びの原則が役に立ちます。来期の数字を当てたいのか、それとも「なぜそうなるのか」を理解して施策を打ちたいのか。予測がほしいなら機械学習、理由がほしいなら統計モデルという住み分けを知ったうえで、依頼時に目的を一言添える。それだけで、返ってくる分析の質は変わるはずです。

平均的な社員は、実はどこにもいない。データ活用の解像度を「全体の傾向」から「一人ひとりの違い」へ上げることが、施策が空振りしない近道なのかもしれません。

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