昔は「本の落書き」をSNS代わりにしていた?教科書落書きから昔の学生の本音をさぐる

昔は「本の落書き」をSNS代わりにしていた?教科書落書きから昔の学生の本音をさぐる

日本初の経営学部が誕生した頃、学生たちは何を考えていたのでしょうか?
甲南大学の平野恭平先生たちの論文「経営学部創設期の「落書き」による学生たちの心性史試論─神戸大学附属図書館蔵書を一例として―」では、図書館に残された教科書の「落書き」を通して当時の若者たちがどんな心持ちで生きていたのか、学生たちのリアルな感情を探るユニークな試みです。

きっかけは、経営学の先駆者・平井泰太郎の著書で見つかった学生たちの書き込みでした。1949年前後の数年間、学生たちは教科書を舞台にペンで多様な意見を交わしていました。そこには、新しい学問への期待、疑問、既存の学問を支持する声など、生々しい感情が刻まれていたのです。研究者たちは、この落書きを歴史を読み解く貴重な資料として分析しました。

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分析からは、学生たちは経営学部の新設や経営学とは何か?という問いに関心を抱いていたことが分かりました。議論の中心には、新しい経営学を目指す平井と、伝統的な商学を重視する福田敬太郎という二人の学者が存在し、学生たちの落書きにもそれぞれの影響が見られました。落書きには、平井や経営学への応援がある一方、学問として未熟、講義が分かりにくいといった批判もありました。まるで学生たちが教科書上で議論しているようです。
「落書きするな!」という注意書きへの賛成もあり、学生たちが落書きを通してコミュニケーションを取り、感情を共有していた様子が伺えます。大学図書館という限られた空間と教科書という共通の媒体が、学生たちの本音を引き出したので しょう。落書きは現代のSNSのように、学生たちの心の声を表す場となり、教科書は知的な交流の足跡を残す場所だったようです。

AIも驚く?落書きから発掘される内面世界

更なる調査では、学生たちが経営学の理論の曖昧さや抽象的な説明に不満を持っていたこと、利益追求という点に抵抗を感じていたことなども明らかになりました。

この研究からは、昔の落書きが、当時の大学の雰囲気や学生文化、教員と学生の関係性を知る手がかりとなる可能性を秘めていることが示唆されました。落書きは感情の表現の一つであり、個人的な思いや考えを書き残した痕跡と言えます。多くの人が学生の頃に教科書の隅にパラパラ漫画を描いたり、授業のメモや感想、手紙のやり取りなどの痕跡を残したことを思い出す人もいるでしょう。

現代は携帯電話が主流となり、個人的なつぶやき、あるいは仲間同士のメッセージなど、SNSで簡単に繋がる時代になっています。その反面で、リスク管理が必要であり、個人の発信では心の奥に秘めた想いには、フィルターがかけられているように感じます。
研究者は、その時代に意図せず残された書き込みから、当時の学生たちの関心事、悩み、流行、価値観といった、公式な記録には残りにくい内面的な世界を探ろうとしていると感じました。
現代はAI技術によって様々なことがわかる時代、心の内面まで発掘される日も近いかもしれません。

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