シンボルが先、ブランドは後から立つ
自社のブランドを育てたい。けれど実績も知名度もなく、予算もない。新規事業でも社内の新しい取り組みでも、たいていはこの状態から始まります。実は、ブランドの手前にもう一段あります。
京都大学経営管理大学院の軸屋泰隆先生と山田仁一郎先生は、論文「起業家的シンボリック・マネジメント ― ベンチャーの事業成長を起動する「シンボル」の影響力 ―」で、ブランドを確立する「前」に注目しています。資源の乏しい創業初期の企業は、ブランドを立てる前に、自社のアイデンティティを定め、シンボルを確立する段階を踏むべきだという指摘です。
シンボリック・マネジメントとは、複雑な市場で事業の識別可能性を高め、意味を伝える手段です。ロゴやタグライン、オフィス、名刺、服装。それらをシンボルとして機能させ、相手の想像力に働きかけて事業の意味を連想させる営みを指します。
この指摘は、実験や調査ではなく、先行研究を読み解く作業から導かれています。軸にしたのは、意味は人と人とのやりとりの中でつくられるとする「シンボリック相互作用論」と、社会を舞台になぞらえる「ドラマトゥルギー」です。この二つの見方で、ベンチャーや組織のシンボル、ブランド、制度に関する研究を整理し直し、創業初期の企業に当てはめて描いたのが、ブランドより先にシンボルを置くという構図です。
なぜブランドが先ではないのか。創業初期の企業は、あらゆる経営資源が本質的に脆弱だからです。顧客基盤が固まる前は売上が続かず、資金が細い。人材も採れず、投資家も納得させにくい。この状態でブランドを確立するのは原理的に無理があります。資源を集中的に投じる先がシンボルです。両先生は、シンボルが確立されればブランドの確立を後押しし、そのブランドが実体に跳ね返って社会からの正統性を高める、という螺旋的な構造を描いています。
もうひとつ重要なのが、シンボルは実体そのものではないという整理です。論文が引くのはシュナッケンバーグらの「シンボルは真理の直接的な経験ではなく、真理の表象である」という指摘で、客観的に経験されるのではなく主観的に創造される点で、実体とは切り離されているとされます。この切り離しは弱点ではありません。切り離されているからこそ、状況に応じたシンボリック・マネジメントが可能になる、というのが論文の見立てです。
ただし本研究は概念研究です。著者ら自身、シンボリック・マネジメントが事業成長に有効だという証拠はほとんど示されてこなかったと述べており、この論文も効果を検証したわけではありません。概念として示唆する水準にとどまります。
実体が追いつく前に、意味を先に置く
社内で新しいことを始めるときも、状況は創業初期と似ています。実績も認知もないところから始める。論文で扱ったのはベンチャーですが、この研究をヒントに置き換えると、ふたつの視点が見えてきます。
ひとつは、実体が整うのを待つ必要はないということです。新しい取り組みでは、実績が出てから発信しようと考えがちです。しかしシンボルは実体そのものではなく、実体から切り離されたところで機能します。企画書の表紙、プロジェクトの名前、共有フォルダの構成。まだ中身が固まっていない段階でも、意味を伝える器は先に置けます。呼び名が定まらないまま進む企画は、会議のたびに「例のあれ」と呼ばれ、そのたびに説明が要ります。名前をつけた瞬間から、その取り組みは誰もが指し示せるものになります。
もうひとつは、シンボルは飾りではなく、意味を運ぶ道具だということです。論文が挙げるのは場や小道具や服装といった視覚的なシンボルで、経験豊富な起業家ほど幅広く使いこなしていたという先行研究も紹介されています。裏を返せば、シンボルを選ぶ作業は「何を伝えたいか」を決める作業そのものです。ロゴの色や資料の書式を決める前に、この取り組みが誰にとってどんな意味を持つのかを一文で書いてみる。書けたら、その一文を資料の隅に置いて相手の反応を見る。伝わらなければ、意匠ではなく意味の側を練り直す順番です。その一文が定まらないうちは、どんな意匠を凝らしても意味は運ばれません。
実体が追いつく前でも、意味を先に置くことはできる。取り繕うこととは違います。形にならないものに名前を与え、伝わる器をつくる。その営みが、あとから来る実体を引き寄せていく。この研究は、順序についての問い直しを差し出しています。
記事原案 M.Sumida
